のんほいラボ | 新城こどもプログラミング教室

新城駅前の子供プログラミング教室「のんほいラボ」を運営している藤本忍(ふじもとしのぶ)です。令和3年度より新城市ICT支援員も。その他、奥三河の情報発信や農業、ラジオでお喋りしたり福祉の現場などお仕事は色々。愛犬の梅さん、セキセイインコの飼育と繁殖に愛と情熱を注いでいます。

新城の盆行事

少し遅ればせではありますが、今月15日に市内の盆行事を見学してきましたので その様子をお伝えしたいと思います。 知識不足の部分は各種資料を参考にさせていただきましたが、もし間違い等ありましたら メールやコメントでコッソリご指摘いただけると嬉しいです m( )m 今回は「奥三河めぐりん講座」の一環として開催された 「奥三河の盆行事」のツアーに参加させていただきました。  ↓

まずは大海地区で行われている「大海の放下」を見学してきました。 毎年8月14、15日に行われる盆の行事で、県の無形民俗文化財に指定されています。 大海の公民館に行ってみると、既に多くの人達で賑わっていて、 巨大な「団扇」や太鼓を身に付けている最中でした。 放下おどりは泉昌寺境内や道路上、初盆の家の前で行われます。 古くから伝わる歌や鐘の音の合わせて舞手が踊るわけですが、 この団扇は高さが約3mもあって重さが約6㎏、太鼓も4㎏あるそうです。 これらを身に付けたまま舞い踊るわけですから、相当に体力が必要みたいです。 こちらは去年撮影した写真。初盆の家々をまわり、供養しているところです。 大海の放下新城市ホームページより(民俗芸能・歴史・文化) こちらは市川地区万灯山で行われている「鍋づる万灯」の様子。 鳥居駅のすぐ近くから眺めた風景です。 薄暗くなった山々の中に描き出された「鍋づる」の形はとても幻想的です。 これは去年、市川地区まで行って近くから撮った写真です。 鍋づるの形が、数多くの松明によって描かれていることが判ると思います。 鍋づる万灯新城市ホームページより(民俗芸能・歴史・文化) さらに場所を変え、今度は乗本地区へ。 「乗本万灯」は盆の15日夜、部落の中央にある万灯山という小さな山の上で 縄のついた万灯に火をつけて頭上で振り回します。 万灯の起源は、精霊を送り出す火祭りだと言われています。 鉦・太鼓・笛の囃子にあわせ、若者たちが次々に万灯に火をつけ、頭上で大きく振り回します。 万灯山の山頂はそれほど広くはないので、見学する側も十分気を付けていないと 熱い火の粉の洗礼を受けることになります!! まるで「ゲームセンターあらし」の「炎のコマ」みたい!! って、例えが古すぎますかね!?(笑) 向こうには新城の夜景を望みながら、目の前では巨大な万灯が炎を上げている・・・。 ある意味とても不思議で、非現実的な感覚になってしまう光景でした。 乗本万灯新城市ホームページより(民俗芸能・歴史・文化) 最期に見学したのは信玄原の火おんどり。 戦死した武田軍の霊を慰めるために、松明を燃やして供養したのが始まりだと言われています。 法被・鉢巻・猿股といういでたちになった男達は竹広の旧家、峯田氏宅に集まり、 同家主が起こした火を松明に付け、火踊坂を登ってゆきます。 そこで待っていた全ての「タイ」に火を移し、次々に信玄塚に移動していきます。 行列の順序は、先導に火元の峯田氏、次に総代、鉦(かね)、太鼓、笛、 そしてその後に数十人が火のついた「タイ」を担いで進みます。 信玄塚に着いたら、行列は大塚と小塚のまわりを3回ゆっくりと回り、 太鼓や笛の音のテンポが早くなったのを合図に、 一斉にタイを袈裟十字に振りかざして勇猛果敢に踊り狂います。 ヤーレモッセ モッセモセ チャンチャコマツヲ トボイテ ヤーレモッセ ナンマイダ・・・ 現在は、この地方に残っているこの種の「火祭」は乗本万灯、鍋づる万灯と この火おんどりだけで、その他は明治中期頃までに消滅してしまったそうです。 先祖の霊を慰め、戦死者の魂を鎮めるために古くから受け継げられてきたこれらの盆行事、 いつまでも途絶えること無く、これからも後世に引き継いでいきたいものですね。 信玄原の火おんどり新城市ホームページより(民俗芸能・歴史・文化)


この日に撮影した写真をウェブアルバムにまとめてアップしています。

よろしかったら、こちらも合わせてご覧ください(ピンぼけ失敗作も多数入っていますが(^_^;)

2011-08-15盆行事