おのれの弱さを思い知る
池波正太郎先生の作品、剣客商売は高校生の頃から大好きな愛読書の一つ。今でも時々読み返しているのですが、自分が年を重ねるごとに物語を見る視点や感情移入の仕方が変化してくるのが面白いです。
例えば第二巻にある「悪い虫」というエピソード。鰻の辻売りで生計を立てる又六は、悪事ばかりはたらく無頼浪人の弟、仁助にいつも苦しめられています。彼は仁助に負けぬよう、何年も働いてためた五両を持って大治郞の道場を訪れ、弟子入りを志願します。「せめて十日のうちに、強くなりたい」と懇願する又六に、大二郞はこんなことを言って聞かせるのです。
「剣術というものは、一所懸命にやって先ず十年。それほどにやらぬと、おれは強いという自信(こころ)にはなれぬ。」
自分のことを思い返すと、確かに仕事のことでもコンピュータのことでも、ある程度の経験や知識を積み重ねていくと、徐々に「おれは強い」という気持ちが沸いてきます。自信に溢れている状態ですね。
「そこでな、十年やって、さらにまた十年やると、今度は、相手の強さがわかってくる。」
ところがふと冷静になって周囲を見渡すと、世の中には自分よりもはるかにすごい人がたくさんいることに気付てしまうんですよね。相手の強さというのは、自分が経験を積んだからこそ見えてくるものなのかもしれませんが。
「それからまた、十年やるとな・・・三十年も剣術をやると、今度は、おのれがいかに弱いかということがわかる。」
今の自分はまさにここ。 ナメック星でフリーザやスーパーサイヤ人の戦いを見せつけられてるくらいの衝撃(笑)
自分の実力でここまで生きてきた、という自負は粉々に打ち砕かれてしまいます。そのかわり自分は周囲の人たちの力で生かされている、という感謝と尊敬の気持ちが溢れてくるようになりました。
「四十年やると、もう何がなんだか、わけがわからなくなる」
ここはまだ自分にとっては未体験の部分💦 まぁ、この言葉を語った大治郞も、これは父・小兵衛からの受け売りであったことから、自分で言った後に苦笑するわけですが。
自分の年齢に合わせて、楽しみ方も変わる
こんな風に、高校生の頃は何となく読んでいた部分に、大人になってからハッと気付かされたり考えさせられたりするのがこの小説の魅力の一つなのかと思います。いずれは自分も秋山小兵衛のように世の中を涼しげに飄々と生きていくような老人になりたいと思ってはいるのですが、これがなかなかに難しい😅💦